昭和の古き良き縫製工場育ちです

子どもの頃から物づくりが好きだった?
始めたキッカケは?デザインや縫製は何処で学んだの?

今日はぬぬもく 木曜日
ご覧頂きありがとうございます。
A4サイズもスッポリ、軽くて大容量のしごとーと オーダーバッグ専門店 Nunu 工藤です。

お客様とお話をしていて、先の様な質問を受ける機会が多くあります。
私がモノ作りを始めたキッカケは、長いお付き合いの ぬぬらーさんなら、耳にタコが出来るほど聞かれているかも知れません。(移動ポケットのお話です。)

 

この所、会話の流れで 父の縫製工場(私の育った家)にまで遡る事があり、これついては、詳しくお話しした頃がなかったので、今日はその事について綴りたいと思います。
昭和の良き時代が少し垣間見見えるかも知れません。

父は大阪にある大手のアパレル会社から発注を受け製造を行っていました。

デザインと指示書と資材を受け取り、自社工場(自宅の一角)へ持ち込みます。

母がまず、指示通りに一着 サンプルを作ります。
そして、父は受け取った生地の裁断をするのですが、その裁断方法が特殊でして・・・

裁断

小学生の落書きレベルでお恥ずかしいですが、記憶を頼りに描いてみました。
この様なテーブル(小さく描いてしまいましたが、幅は6~7mくらいはあったかと)

テーブルを立てて、どうするのかと言いますと、生地を針に刺しながら、行ったり来たりを繰り返し、重ねていきます。
この時に、父と母が声を掛け合いながら、行ったり来たりしていた記憶があります。
大きくなってからは私も手伝いました。

重ね終わると、テーブルを元の状態に戻します。重ね上げられた生地は10cmくらいはあったと思います。
その上に、型紙を置きます。

裁断するのは、こういった裁断機を使っていました。

油断をすると、大怪我に繋がるので、この時の父は真剣でしたね。
裁断が終わると、この様にパーツ毎に母が優しく結び、父が縫製工場に運びました。

※念の為、兄に確認しますと、この方法で生地をセットしていたのは裏地や薄手のみ
裁断方法は同じですが、厚手地は一枚一枚 手で重ねていたそうです。

縫製

当時、自宅兼会社は兵庫県西宮市にあり、縫製工場は兵庫県養父郡大屋町(現在の兵庫県養父市)
片道、3時間弱掛けて運んでいました。

縫製工場は、地域の主婦の方々
一番大きい工場で10名位いらっしゃったかな、小さなところでご自宅でご夫婦2名

町内の縫製スタッフの所を5~6箇所、車で回っていました。
月に2回ほど往復し、完成したものを受け取り、新しいものを依頼するスタイル

小学生の頃は夏休みなどは私もついて行って、スタッフさんのお家に泊めてもらい、地域の祭りに参加させてもらい田舎の夏を楽しんだ事もありました。
小さな子どもが少なかったので、それは可愛がってもらえましたし、友達もできましたよ。

仕上げ

話は逸れましたが、縫製から上がって来た服を、自宅の工場に持ち帰り、父が仕上げ(アイロン掛け)をします。
業務用の大きなアイロンは重くて暑くて、父はフゥフゥ言いながらアイロン掛けをしていました。

AMラジオで毎日放送が流れていた記憶があります。(角さんが言うてた(角淳一さん)、淳ちゃんが言うてた(浜村淳さん)と母がよく言っていました)

アイロン掛けが終わると、ハンガーに掛け 、ホラッ 小さな袋に共布とボタンが入っているのありますよね!?
それと、タグを合わせて付けるのが私の仕事でした。
1個つけたら5円だったかな?小学生頃から、大きくなってもアルバイトをしていました。

そして、透明のビニール袋を一着ずつ掛けて、納品です。

母のもう一つの仕事

母は父の会社の仕事を全面的に手伝っていましたが、自分でやっていた事もありました。
個人のお客様への洋服のオーダーメイド

限られた数名のお客様に向けてだったと記憶していますが、定期的にオーダーをくださるリピーターさんが居て、私も何度も納品について行きました。
その場で袖を通され、お客様が母の腕を絶賛されていたのをハッキリと覚えています。

私が受け継いだもの

こういった環境で育ったもので、小さい頃は余ったハギレやボタンなどを使って遊ぶことが多かったです。
お気に入りのボタンやレースなどを入れた お菓子の缶が宝物で、幼き頃は これがあれば、どんなモノでも作れると思っていました。

そして、高校を卒業して 何の迷いもなく デザインの専門学校に進みました。

今まで、自分のルーツなど振り返る事もありませんでしたが、父が亡くなってから考える機会が多くて・・・

当時、大手企業が中国にどんどん生産の発注を始め 、日本の縫製業界に未来を見いだせなくなった平成元年に廃業しました。
そう聞くと、悲しい気がしてしまいますが、廃業して すぐに レストラン開業の準備を始めたので父にとっては、夢いっぱいのアパレル業界への別れだったと思います。

余談になりますが、父は 兵庫県養父市の縫製工場に行く途中、よく食事をしていた店が売りに出されたのを見つけ、そこでレストランを始めました。
それが今の 兵庫県篠山市にある実家です。

私のルーツが 昭和の古き良き父の縫製工場だった事を伝えたかったのですが、父の人生の振り返りにお付き合い頂く事になりました。

最近ね!
もっと良いバッグを作りたい、もっともっと喜んで頂くにはどうしたらいいのか・・・考えると、”血が騒ぐ”と言う感覚を覚えます。
私に流れた血がメラメラとしているのかも知れません。

父に良い報告が出来る様、私は Nunuバッグを 更に可愛く、使いやすくする為に人生をかけてます。

※今日のトップの写真には ある小さな仕掛けをしています。
気付いてくださった貴方はNunu通! 何も出てきませんがお答えくだされば嬉しいです。

※ホームページに、バッグ作りを始めたキッカケを詳しく書いています。
少し長いので、お時間ある時にでも お読み頂けると嬉しいです。
しごとーと誕生秘話へ

 

ちょこっと話

~いいもの見っけ~ お風呂goods編

お年頃の中3長男
洗面所や浴室に、色々なgoodsが並び始めました。

シャンプーテーブルの上には置ききれず、床に置かれたり倒れたり・・・
直に置くとヌメヌメするのでイライラ

そんな時に見つけました♪

マグネットでくっつくんです。しかも、耐荷重3.7kg
どんなにコレが優れていても、ココに戻さないと意味はありませんが、自分でも気になっていたのか 自分のコーナーが嬉しいのか ちゃんと戻します。
設置してから、1カ月以上経ちましたが、ほぼ 定位置に戻るようになりました。スバラシイ!!!
こんなにスッキリしましたよ。

次男は まだ その様なお年頃ではない様ですが、時間の問題ですね。

今日も 最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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作家プロフィール

作家プロフィール

1968年7月14日兵庫県神戸市生まれ 西宮市在住
プライベートでは中学生と高校生の男子のお母さん。

座右の銘:「今より若い時はない。」(父が60歳でレストランを開業するときに言った言葉です)

趣味:元々、ミシンやモノづくりが趣味だったのですが、今は仕事になってしまったので、特にありません。仕事以外で思い切り夢中になれる事を見つけたいと思いつつ、気付いたらミシンの前に居ます。

しごとーと®の魅力お伝えします♪

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